『右の売国、左の亡国』収録の

「政治経済用語辞典」には

〈隣のお花畑は満開〉という項目があります。

 

お花畑満開の状態にひそかに憧れつつも

それをハッキリ認めるのは

あまりに少女趣味ではないかと気にする人々が

しばしば陥る状態。

 

つまりは自分の理想を周囲に投影し、

自分のお花畑は貧弱なのに

隣が満開なのはおかしい!

と口惜しがるわけです。

 

重症患者になると

お花畑が満開だなんてバカの証拠だよ

と強がってみせたりしますからね。

 

・・・だからというわけではないのですが

かの政治学者・姜尚中さん

こんなエッセイを発表しました。

いわく。

 

森友学園問題にかかわる籠池理事長の発言や、

築地市場の豊洲移転問題での石原元東京都知事の答弁などを聞いていると、

夜郎自大の「愛国無罪」という言葉が頭をよぎります。

愛国無罪とは尖閣諸島の国有化問題の時に、

中国の大規模な反日デモで

「愛国行為に罪はない」という意味でも使用されました。

つまり愛国を「専売特許」にすれば、水戸黄門の葵の印籠のような効力を発揮するわけです。

原文こちら。

 

ここには涙ぐましいまでの「お花畑」への憧れが見られます。

 

言っちゃなんですけど

もし「愛国」スローガンが

本当に水戸黄門の印籠レベルの効力を持っているのであれば

森友学園や豊洲移転問題が

かくも深刻化することなどありえません。

ところが、その点に気づくことなく

愛国の効力を信じ切っているではありませんか。

 

私の記憶するところ

姜尚中さんは左翼・リベラル系の方ですから

拝察するに

保守派(少なくともその一部)が万能の「愛国印籠」なるものを持っているのだろうと想像し、

いいなあ、自分もそういうものがほしいなあ

と憧れているのではないでしょうか。

 

実際、上記の引用文には

姜さんが本心では左翼を嫌っている形跡

ありありと見て取れます。

 

わが国の保守派の「愛国無罪」ぶりをあげつらうにあたって

わざわざ中国の反日デモを引き合いに出しているからです!!

 

W(^_^)W\(^O^)/忍ぶれど文に出でにけり氏のホンネ\(^O^)/W(^_^)W

 

わが国の左翼・リベラルには

中国に好意的か、

少なくとも「反中」には批判的という特徴がありますので

われらが姜尚中さん、

今後は左翼・リベラル叩きにも精を出されることでしょう。

 

実際、わが国の保守派の多くは

今や籠池理事長には批判的ですから、

このエッセイ、

保守派とのひそかな連帯を模索したものと取れなくもない。

 

・・・とはいえ、

ここまでホンネをさらけだしてしまうと

どこか恥ずかしくなるのが人間の常。

 

よって、姜さんの話はこう続きます。

 

今では愛国と反日は、

セットになって人を「友と敵」に振り分ける実に重宝な言葉になっています。

(中略)

しかし愛国の中身となると、ほとんど空疎なものになっています。

要するに、愛国そのもの、また反日そのものが記号化されて、

「われわれ」と「あいつら」を分けるレッテル貼りに成り下がっているのです。

 

それでも「愛国無罪」の傲慢と「愛国ビジネス」の欺瞞は、

白日のもとに晒されようとしています。

 

いよっ、名調子!!

と、言いたいところですが、

このくだりには面白い特徴がある。

 

「愛国」を「反権力(または革新)」に、

「反日」を「保守反動」 に、

それぞれ置きかえるとどうなるか?

 

今では反権力・革新(の大義名分)と保守反動(のレッテル)は、

セットになって人を「友と敵」に振り分ける実に重宝な言葉になっています。

(中略)

しかし反権力・革新の中身となると、ほとんど空疎なものになっています。

要するに、反権力・革新そのもの、また保守反動そのものが記号化されて、

「われわれ」と「あいつら」を分けるレッテル貼りに成り下がっているのです。

 

それでも「反権力・革新無罪」の傲慢と「反権力・革新ビジネス」の欺瞞は、

白日のもとに晒されようとしています。

 

おっと!

1950年代から1990年代ぐらいまでの

左翼・リベラル界隈の顛末をめぐる

簡潔にして的確な要約になるではありませんか!!

 

W(^_^)W\(^O^)/今や、この印籠は愛国以上に使えないからねえ\(^O^)/W(^_^)W

 

だ・か・ら

『右の売国、左の亡国』と言うのですよ。

 

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なお最近は

隣のブーメランは全開

という、新たなことわざも生まれているようです。

 

ではでは♬(^_^)♬