Sayaさんに向けて書いた詞は、すでにけっこうあります。
その中から第一弾として「どれだけ」を選んでくれたのですが。
よくぞまあ、これを最初にやることにしたもの。
「どれだけ」は、表現することの高揚感と不安をめぐる詞。
もっとずばり言ってしまえば、
人前で歌うときの心の動きをつづったもの。
それをステージで披露するのですから、
のっけから核心に飛び込むようなことをしてくれたわけです。
ストレートの直球勝負。
ただし詞には、内容にふくらみを持たせるべく、いろいろ微妙なニュアンスも盛り込んである。
取りようによってはラブソングです。
当然でしょうに。
アメリカのロック評論家、レスター・バングスいわく。
あらゆる芸術は、世界全体にたいする愛情の表明である。
だとしても、この場合は一筋縄では行かない。
歌はそもそも、濃密な感情を伝えるためのもの。
しかし「どれだけ」は、「歌を唄っている自分の心」がテーマ。
つまり「『濃密な感情を伝えようとしている』ときの濃密な感情」を表現しなければなりません。
言いかえれば、
自意識を歌いつつ、歌そのものは自意識過剰にならない
ことが求められます。
そのために必要なのは、
歌っている自分と完全に一体化しながら、そういう自分と距離を置くこと。
でないと、微妙なニュアンスがこぼれ落ちてしまう。
戦後日本最高の知性、福田恆存(ふくだ・つねあり)さんは、これを
「醒めて踊る」
と形容しました。
ある偉大な演出家も、よく似たことをおっしゃっています。
すなわち、
「シャープで、かつ泥臭く」。
じつはこれ、歌に限らず、あらゆる表現において重要なことなのですが、実践するのは決して容易ではありません。
優れた表現とは、矛盾と逆説に満ちたものなのです。
もっとも逆に言えば、
この歌を選んでくれたというのは、
それ自体が自信の表れかも知れない。
最も本質的なところから始めるという意味で。
さて、コンサートは二部構成。
前半は日本の有名な歌をやり、
後半でオリジナル曲をやるとのこと。
むろん「どれだけ」は第二部に来ることになります。
さあ、何曲目に持ってくるのか?
インターミッションが終わり、ステージに照明が入ったところで、
つづきはまた明日!
そのかわり、また画像をどうぞ。
ヘルマンハープの試奏に挑戦するSayaさんです。
ではでは♬(^_^)♬