宮崎駿・高畑勲の

両巨匠を擁することで有名なスタジオジブリですが、

昨年の「風立ちぬ」

宮崎監督が引退したのを受けて、

製作部門をいったん解体する方針であることが

明らかになりました。

 

記事はこちらです。

 

来るべきものが来てしまった、

という感じですね。

 

もちろん、スタジオジブリそのものがなくなるわけではありませんよ。

これまで作った映画、

および関連商品の版権管理は続けるし、

井の頭公園にある「ジブリ美術館」だって

べつに閉館することはありません。

 

しかし、であります。

 

今回、製作部門を解体する方針を発表した

鈴木敏夫プロデューサーは、

1995年の特集本「宮崎駿、高畑勲とスタジオジブリのアニメーションたち」

こう語っていたのです。

 

いわゆる作品と

会社と

どっちが大事かっていったら、

やっぱり作品だな、と。

作品を作らなくなったら

会社が存続してもしょうがないわけで。

(52ページ)

 

その鈴木さんが、

作品をつくらずに会社を存続させる道を選んだ。

 

ふつうに考えれば、これはやはり

スタジオジブリの終わりなのです。

 

なるほど、鈴木さんは

新作の製作を完全に断念する

とは言っていません。

「小休止」という表現を使っています。

 

けれども製作部門解体とは、

常駐スタッフがいなくなることを意味する。

これでクオリティを維持するのは無理です。

 

スタジオジブリの歴史が、その何よりの証拠。

 

同社は1985年、

「天空の城ラピュタ」(傑作!)をつくるために設立されたスタジオ(※)ですが、

はじめのうちは

映画をつくることになったらスタッフを集め、

完成したら解散

というスタイルを取っていました。

 

(※)1984年の「風の谷のナウシカ」は

ジブリ作品のように思われていますが、

実際には「トップクラフト」というスタジオで製作されたものです。

 

それが常駐スタッフを置くようになったのは、

いつのことか。

そして、なぜか。

 

この話、明日も続きます。

ではでは♬(^_^)♬