戦争責任という言葉は

日本語にしか(実質的に)存在せず

フィンランド戦争責任裁判を除けば

第二次大戦の日本の行為にのみ適用される概念である。

 

これが、昨日までの話です。

 

このテーマについては、

 

政治には責任が伴う。

戦争は政治の一手段である。

したがって、戦争にも責任が伴う。

(マゼラン星人二代目さん)

 

というコメントも来ていますが、

事はそう単純ではないのですよ。

 

むろん戦争は国家の行為です。

よって、戦争に敗れた側の国が

講和を結ぶにあたり、

何らかのペナルティを課されるのは

言ってみれば当然の話。

 

賠償(実物賠償や、賠償的性格を持った経済援助を含む)とか

領土の割譲とか、

戦争犯罪人の処罰などがそれです。

 

ちなみに第二次大戦の場合は、

戦争犯罪人の概念に

「平和にたいする罪」

「人道にたいする罪」が追加されました。

 

これらの概念に基づいて国家の指導者を裁くことに

どこまでの正当性があったかは議論の余地があるものの

その点は脇に置きます。

 

問題は

敗戦国が講和の際、いろいろペナルティを課される

(=戦争の責任を負わされる)のは一般的に見られること

であるにもかかわらず、

 

「戦争責任」なる概念は、戦後の日本にしか存在せず

しかも第二次大戦における日本の行為にしか適用されない

ことなのです。

 

しかも。

「講和(ないし国家関係正常化)の際のペナルティ」という意味での戦争責任なら、

日本はとうの昔に清算しているんですよ。

 

まずもって、サンフランシスコ平和条約(1952年発効)で。

日ソ国交回復(1956年)や

日韓条約の締結(1965年)

さらには日中の国交正常化(1972年)なども加えても

少なくとも40年前には、

戦争責任は処理済みとなります。

 

ところが「戦争責任」なる概念は

2010年代になっても生き続けている!

これはなぜなのでしょうか?

 

つづきはまた明日。

ではでは♬(^_^)♬