「表現者」では毎回、特集座談会が目玉となります。

2015年3月号(通算59号)の座談会は

「プラトンに倣(なら)い、民主主義を疑え」。

 

♬ソ、ソ、ソクラテスもプラトンも

みんな悩んで大きくなった〜

 

昔、そんなCMソングがありましたが、

これは別の話でしょうね。

(傍白:アリストテレスは悩まなかったらしい)

 

座談会の模様については

1月10日のブログで紹介しましたので、

興味のある方はご覧下さい。

クリックこちらです。

 

充実した議論だと思いますが、

とくにご紹介したいのはこれ。

座談会の終盤、西部先生の発言です。

 

たとえば佐藤健志くんのようなことを言い続けていたら、

普通の計算から言ったらもう滅びているはずなんです(笑)。

逆に言えば、

健志くんがここに現にいるということが、

あるいは我々がまだ活きているということ自体が、

実は楽観論の根拠となる。(中略)

本来なら死んでいるのにまだ生きている。

そうしたら、未来は明るいと考えるしかない。

 (53ページ)

 

・・・私は絶滅危惧種ですか、先生?!

 

と聞いてみたくなるところですが、

私がここにいるだけで

日本の未来にたいして楽観的になれるというのですから、

スゴい賛辞ではありませんか。

 

達増拓也・岩手県知事は私のことを

「我が国最高の保守評論家」と形容して下さいましたが、

以後はこれに

「佐藤健志がここに現にいるということが、日本の未来にたいする楽観論の根拠となる」(©西部邁先生)

を追加したいと思います。

 

とはいえ、

本来なら死んでいるのにまだ生きている者を

ふつう不死者(ノスフェラトゥ)と申します。

 

ゾンビもそうですが、もっとカッコいい例としてはドラキュラも不死者。

そんなわけで、吸血鬼ふうの画像をどうぞ。

photo3-

ではでは♬(^_^)♬