2014年の流行語大賞が決まりました。
今年は「ダメよ〜ダメダメ」と「集団的自衛権」。
これって何だか、
集団的自衛権はダメというシャレみたいだな・・・
と思っていたら、
どうやら本当にそうらしいんですね。
「ダメよ〜ダメダメ」の解説には、こう書いてあるのです。
戦後も70年を迎えようとしているのに
日本人はやっぱり相変わらずの日本人で、
NOときっぱり言えないというか、
はっきり言わないで済ましましょうという人間関係。
いきなり「ダメよ!」とでも言おうものなら、
相手は驚いて「号泣」し出さないとも限らない。
そんな昨今だからと、そこまで気を使う細やかさが日本人のたしなみなのかどうかは知らないが、
ユルい空気ゆえにリベンジポルノがネットに流れたり、
公の議会でセクハラやじが横行するのかもしれない。
あげくの果てが「壊憲」と言われる7月の閣議決定。
「ダメよ~ダメダメ」と高まる声を前にして、
「いいじゃ~ないの~」とするすると受け流して、
気がついたら憲法が解釈だけで変更されてしまったのだが、
この国では、争点をしっかり掲げて投票でハッキリさせようなんて決定方法がありえないんじゃないかと思えて、
こりゃあ「号泣」もしたくなる。
そんな日本の不条理な現実を、最高にシュールなコントで「大爆笑」に変えてくれたのが
「細貝さんと朱美ちゃん」こと、今年一番の人気コンビ、日本エレキテル連合であった。
正直、論理の脈絡がよく分からない解説ではあります。
相手の反応に細かく気を使うのが日本人のたしなみなら、
空気がユルかろうが何だろうが、
リベンジポルノやセクハラ野次は起こらないでしょうに。
けれども、私に言わせれば
そんなことは二次的な問題。
太字にした部分を、よくご覧下さい!
この国では、争点をしっかり掲げて投票でハッキリさせようなんて決定方法がありえないんじゃないかと思えて、
こりゃあ「号泣」もしたくなる。
憲法解釈の変更をめぐる話で、こう書いてあるのですから
流行語大賞の審査委員のみなさんは、
憲法改正の発議に賛成しているのです!
国民投票とは、争点をしっかり掲げて投票でハッキリさせようという決定方法ですので。
ついでに日本人は、
NOときっぱり言えないとのこと。
石原慎太郎さんの「NOと言える日本」をここから連想するのは容易です。
流行語大賞が、うわべはともかく
本質において右傾化していると感じるのは私だけ?
今年の大賞が
「ありのままで」と「集団的自衛権」にならなかったのも、
そこまでハッキリ言わずに済ませた方が良いという
日本人ならではのたしなみかも知れません。
ではでは♬(^_^)♬
2 comments
マゼラン星人二代目 says:
12月 3, 2014
>相手の反応に細かく気を使うのが日本人のたしなみなら、
>空気がユルかろうが何だろうが、
>リベンジポルノやセクハラ野次は起こらないでしょうに。
別に矛盾でもなんでもない。
正面きって”NO”を言う作法が抑圧されれば、陰湿なアウトレンジ攻撃に奔るのはむしろ当然の流れだと思うのですが、いかがでしょう。
フルート says:
12月 3, 2014
客観的にはアナと雪の女王の方が流行ってましたよね。笑
審査委員会の主張の要旨は、おそらく『アメリカに対してNOと言えない日本』と、『男性に対してNOと言えない女性』なんだろうなとは思うのですが、これって要は、『アメリカ=男性=良くない存在』と、『日本=女性=良くないものを変えられる良い存在』とする見立てであるのと同時に、『強いアメリカ』に『弱弱しい日本の男性』を宛がう事で弱くした『良くない存在』に物申す事でもあって、自分達の力の足らなさを本当に直視するだけの勇気にはまだ至れていない印象も受けますよね。
また日本エレキテル連合の芸風も、『男性に対する女性の弱さ』というより、『戯画化させた上の世代に扮する事でしか自分達の世代を主張できない自虐』、というのが本当のところではないかなと思います。そうしますとコンビ名の頭に「日本」が付けられているのも気になります。不甲斐無い上の世代に物申す時とられるその手法は、更に不甲斐無くさせたその世代との一体化であって、そうやって自分達の世代=上の世代=「日本」としてしまっては、自分達より下の世代が勘案されていない様にも感じるからです(これは自分達日本エレキテル連合が、今度はもっと下の世代から戯画化させられバカにされる可能性を勘案できずにいるという事でもあるのかも知れません)。しかし委員会は本当のところ、そんなコンビの主張に耳を傾ける振りをする事によって、本当に真っ向から・筋を通す形で、自分達(委員会)の世代を批評して来る可能性もあるもっと下の若者世代からの突き上げ、これをかわそうとしている様にも思えました。
相対主義とそこから導かれてしまう虚無主義のお話は、知識の少ない私には難しくて入れなかったのですが、自分や相手が辿って来たその道筋・これから辿ろうと考えているその筋書き、自分と差し当っての相対者である相手の筋とを合わせたこの都合4つを含んでも虚無に陥らない為には、その筋への解釈・そこへ至った経緯と前提への深い考察が、最終的に自分のものに出来るかどうか・その自覚と自信が持てるかどうか、に係ってくるのかも知れないと思いました。(まだ漠然とし過ぎていて、かなり闇鍋味になっちゃってる可能性があるので、少しずつ味と鍋のサイズを調節して行きたいとも思いました。笑)