昨日の記事
「増税を急ごうとする意識」では
消費増税をめぐる
国民の不透明感なるものを払拭するために
予定通り10%引き上げを行うべきだ、という
「アベノミクスを成功させる会」会長
山本幸三議員の主張をご紹介しました。
三橋貴明さんは同会について
「アベノミクスを失敗させた会」へと名称変更せよ、
と主張していますが
それはともかく。
山本議員の主張で不思議なのは
消費増税を予定通り実行する以外に
国民の不透明感なるものを払拭する方法はない、
と決めてかかっている点です。
この不透明感とは要するに、
いつ増税されるか、いつ増税されるか
という不安感のこと。
ならば!!
予定通り増税する以外にも
不透明感を払拭する方法はいろいろございますよ。
たとえば、10%引き上げの凍結。
さらには、5%への税率引き下げ。
自民党の稲田政調会長も
消費税の問題については
固定観念にとらわれることなく議論する必要がある
と述べておられます。
・・・まあ、その政調会長すら
イマイチ固定観念を捨て切れていないのは
4月22日の記事
「経世済民なき増税断行、または財政健全化キッチュ」で述べたとおりですが。
実際、今回の10%引き上げをめぐる論議は
エドマンド・バークが「フランス革命の省察」で指摘した
革命派の経済政策論議と
驚くほどよく似ています。
バークの記述について、
細部の語句をちょっと入れ替えれば
そのまま現在の状況の描写となるくらい。
ひとつ、やってみましょう!
題して『【新訳】消費増税の省察』。
消費税を5%から8%に上げて
プライマリーバランス黒字化を図ったはいいが、
かえって経済が冷え込んだって?
ある者は言う、
ならば10%への引き上げは延期だが、凍結してはならない。
別の者は言う、
いや税率の引き上げ幅を落として、9%にすればいい。
さらに別の者は言う、
いやいや、不透明感を払拭するためにも
財政出動つきで予定通り増税すべきだ。
消費増税をめぐって生じる意見対立といえば、
引き上げの時期と幅に関するものだけなのだ。
いくら失敗を繰り返しても、
増税派はさっぱり懲りない。
消費税8%引き上げで税収はむしろ落ち込んだ。
さあどうする?
10%への引き上げだ。
頑迷な石頭が、
自分の間違いをどうしても認めない。
治療法は?
消費増税をするんだよ!
それが効かなきゃ、また消費増税、
何が何でも消費増税!
ひょっとして現政権、
じつは革命派の集まりなのでしょうか?
まあ幸改派、
じゃなかった構改派の集まりであることは
間違いないと思いますが。
構改派とは1960年代、
左翼・リベラルの間で使われた言葉。
むろん「構造改革派」の略であります。
ではでは♬(^_^)♬
6 comments
玉田泰 says:
5月 23, 2016
確かに消費増税を前提に考えているから、無理筋の主張をしていますね。
「消費増税が怖いから、消費増税しましょう」では、もはやお話になりません。
それにしても「[新訳]消費増税の省察」には、腹を抱えて笑ってしまいました。
構改派の主張は増税という結論を出発点として、後付の理由はこじつけでいいのでしょうか?
減税すれば良いだけというご指摘には、正にと思いました。
SATOKENJI says:
5月 23, 2016
ツイッターのほうでは、「10%に引き上げると同時に、5%の軽減税率を全面実施するのはどうか」という名案が寄せられています。
たかゆき says:
5月 23, 2016
自民党を ぶっ壊す♪
と
言ってた 「分子小泉」
最近は その言動がより過激になり
日本を ぶっ壊す 勢いですね。。。
「同士安倍」も 破壊ドリルに
磨きをかける日々、、
まさに radical 自民党は 革命政党
現政権は 革命政権です。
すなわち
安倍 自民党を支持する
「分子」は けっして
conservative などでは ありません。
「分子」たちには ドヤ顔で
「保守」などと 名乗ってほしくないのだ ♪
福岡ワマツ says:
5月 24, 2016
最近メディアから伝わる情報に接する際に、次の言葉をよく想起します。
それは『羊頭狗肉』。
この言葉は、「店舗の看板に羊頭を掲げていながら、実際には犬肉を売る」という本来の意味が転じて、「見せかけは立派だが実際は違う」という意味を表し、「ごまかしの喩え」として使われることで有名ですね。
どんな時に想起するかというと、
○ たゆまぬ「努力」で「低燃費」を実現した燃費データ改ざん企業、
○ 「財政健全化のため」には国民経済の不健全化を容認する増税論者、
○ 「保守派」を自認する構造改革派、
○ 米軍基地を必要とする「基地反対」運動、
などについて伝える報道に接する時です。
以前には食肉の偽装(詐欺)もありましたね。
そこで1つの疑問が。
もし仮に、精肉店『羊頭狗肉』で買ってしまった肉を、
① 最後まで気づかず、羊肉だと信じて疑わず美味しく食べる。
② 途中で違和感に気づき、美味しい犬肉として食べる。
という2つの場合を設定して比べたならば、果たしてどちらが精神衛生に良いのでしょうか。
まぁ、「調味料で味を整えれば(ごまかせば)、どちらにせよ美味しく食べられてハッピーなんだよ。どうせたいして違いなんて分からねえだろ。」との店側の意見はあるんでしょうが(^^)
その心は、「あんたら(客側、大衆)に肉(実体)を吟味する意志と能力があるのか(いや、ないんだろ)。」ということでしょう。
いや~、まことに耳が痛いですな(^^)
せい says:
5月 25, 2016
実際にそうであるかはこの際置いておいて、トランプのような、大富豪で金の心配はなく、愛国心があり、しがらみに囚われず、既存メディアに否応にも取り上げられ、正しい脱デフレ政策を訴え、票として集められる人物が、日本に現れる可能性はあるのか、地道に広めていくしかないのか。中野剛志さんの選挙制度を変えたのは致命的という慧眼が当たらないことを祈願します。
耳耳 says:
5月 25, 2016
どうせより悪い世の中になると確信していて政治のこと考えるのも意図的に避けるようになってきました
リクエストですがたまにはダンスの話を聞いてみたいです
昔ジム通ってる時にエアロビしてた時ありましたが、精神的にものすごく安定してました
悲しいことに今は近所にいいジムがないものですっかり離れてしまいましたが
ダンスと精神的効用の話から始まって、そこから斜め上にかっ飛ぶ結論に持っていく佐藤先生のホームランが見たいです
ぶしつけで済みません、いろいろと疲れてて脳みそにプリンが詰まってるような感じなので失礼でわけのわからない要望している気がします