「夢見られた近代」の巻末には、

「幻想政治学とは」という論考が収録されています。

 

本全体の議論がここでまとまるのですが

そこで私は「虚実革命」の概念を提唱しました。

 

われわれにとっての現実とは、

客観的な事実と、

主観的な夢、願望、錯覚などが混ぜ合わさったものである。

 

この両者、理屈のうえでは切り離せそうなものだが、

実際にはまず切り離せない。

 

いいかえれば、

現実=客観的な事実+主観的な夢、願望、錯覚

の等式が成立するわけです。

 

ここまでは、いかなる社会にも見られること。

 

しかるに20世紀以後は、

メディアの急速な発達によって

主観的な夢、願望、錯覚の部分と

客観的な事実の部分との区別が

以前にもましてつきにくくなったばかりか、

前者の要素が後者を圧倒しやすくなったのではないか?

 

これがすなわち「虚実革命」です。

 

関連して引用したのが、

ふたたび登場、ジャン=リュック・ゴダールの言葉。

 

すでにフィクションは現実を凌駕(りょうが)した。

すでに血も流れ、状況は謎に包まれている。

すでに私は、

「(こわもての俳優)ハンフリー・ボガートがなぜか主役を務めるディズニー映画」

の世界を漂流している気がする。

(「メイド・イン・USA」より)

 

そして私は、こう言いかえました。

 

すでにフィクションは現実を凌駕した。

すでにテロも行われ、状況は謎に包まれている。

すでに私は、

「時の首相がなぜか生身のままで主役を務める宮崎アニメ」

の世界を漂流している気がする。

 

・・・「夢見られた近代」は2008年の本ですが、

担当編集者はこれを「予言の書」と呼びました。

 

ここ数日、取り上げてきた「英語化の波」も、

日本における「虚実革命」の一環という気がしますね。

 

詳細については、こちらをご覧下さい。

夢見られた近代

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ではでは♬(^_^)♬