6月10日の記事

「経路依存性はネガティブという思い込み」について

柾木さんからコメントがありました。

 

長いので抜粋して紹介します。

全文は上記記事のコメント欄をどうぞ。

 

戦後の歴史から今の政権が醸し出されてきた。

だから一政権に物申すだけでは不十分でその奥にある歴史に目を向けないと

同じ事を繰り返すだけ、似た政権が生まれるだけ、と動画をみて思いました。

 

その上で動画の中で「経路は歴史的にできあがってきたものだから強靭性がある」

と経路を歴史の様にみなしていました。

そこで経路依存を別の言葉に置き換えてみました。

歴史依存、伝統依存、そして歴史や伝統から生み出される共同体として、国家依存、家族依存等。

 

国家依存状態に陥ったら?

当の本人は国家を必要とするでしょう。依存しているのだから。

しかし国家からみたらそのような国民を必要とするのでしょうか?

依存されている側なのですから。依存している国民の代わりはいくらでもいると考えてしまうのでは? 

だから現代は「自己責任」といって国民を切り捨てる様になっているのかと。

動画でも国民の願いでない事を強要する国民を無視する様な政権を望む発言が出てくる。

 

経路を大事にする。その通りだと思いますがその経路に依存したら?

(中略)

バークの言葉と経路依存性は重なる部分はあると思いますが根本のところでは非なるものの様に思えます。

バークの言葉、

『(前略)どうしても変えねばならないときも変更箇所は最小限にとどめるのが知恵である』

(「経路依存性に反発する保守」という大笑い)

ですが依存状態では最小限に変更する事さえも拒否し盲信的に全肯定する様に思えます。

 

長く続いてきたモノの例として

中野さんの新刊「真説・企業論」から『老舗』の説明をあげたいと思います。

『会社をできるだけ長く存続させるというのは、

決して守りに徹するということではありません。

その反対に、常に先を読み、イノベーションの努力を怠らないようにしなければ、

会社を存続させることはできません』(P238)

 
『老舗企業を調べると、硬直的で守旧的であるどころか、環境の変化に柔軟に対応し、

イノベーションを起こし続けることで、生き延びてきたことがわかります。

柔軟性と革新性がなければ、会社が百年以上も続くわけがありません』(同)

 

一企業と国家や歴史伝統とは違うかもしれませんが、

この論と経路依存性の動画のフリップでの説明文とあまり合致しません。

では依存ではなければ何かと考えたら

共存もしくは共生の様に思います。

 

柾木さんのコメント、

もっともな点もあるのですが

失礼ながら、根本的な事実誤認の形跡がうかがわれます。

 

すなわち、

「経路依存性」と言ったときの

依存の主語は何かという点。

 

依存される対象が経路なのはいいとして

依存する主体は何なのか?

 

国家依存状態に陥ったら?

とか

依存状態では最小限に変更する事さえも拒否し盲信的に全肯定する様に思えます。

といった表現から察するに

柾木さんは依存の主語を「人間」「国民」と想定しているようです。

 

振り返ってみるに、水島社長もそう思ったのでしょう。

「経路依存性」を

「経路依存」と

何度も間違えていたくらいですので。

 

そして、これが根本的な事実誤認。

依存の主語は「行動の成否」なのです。

 

ときほぐして言えば、以下の通り。

 

ビジネスでも政治運動でもいい、

君が何か社会的な行動を起こすとしよう。

行動が成功するか、

失敗に終わるかを左右する決定的要因は何だと思うかね?

つまり、君の行動の成否は何に依存していると思うかね?

 

行動の目的が公益や国益に合致する、すなわち社会的にプラスとなることか?

行動の方法論が合理的なことか?

行動するうえで、君(および君の仲間たち)が必死に頑張ることか?

 

それらの要因も、むろん影響しないわけはない。

だが真に決定的な要因は、しばしばまったく違う。

現在の状況が成立するにいたった過程、

すなわち経路と調和するかどうか、

行動の成否はこれに最も依存するのだ。

 

経路に依存しているのだから

これを「経路依存性」と呼ぶ。

 

別の言い方をすれば、

君の行動が経路と調和しないかぎり、

いかに目的が公益や国益に合致していようが

いかに方法論が合理的であろうが

いかに必死に頑張ろうが

失敗を運命づけられていると覚悟すべきなのだよ。

 

・・・要するに経路依存性とは

経路は強靱なのだから、それに頼っていればいい

などという話ではないのです。

 

経路を無視した変革の試みは、やったところで失敗するのがオチと思え

という話なのですよ!

 

したがって、

老舗に関する中野さんの議論は

経路依存性に関する私の規定と何ら矛盾しません。

 

経路と調和しないイノベーションは、

まず間違いなく失敗するのです。

そしてイノベーションが失敗に終わってばかりでは、老舗になれるわけがない。

 

言い替えれば

環境の変化への柔軟な対応も

経路依存性の尊重を前提として、はじめて可能となるのです。

 

実際、『真説・企業論』を読み込めば

経路を無視した変革の試み=ベンチャー(とくに失敗する大多数のもの)

経路を尊重した変革の試み=イノベーション(わけても成功するもの)

という二分法が見出されるといっても過言ではありません。

 

ついでに、経路を尊重した変革だけが成功するという発想は

『どうしても変えねばならないときも変更箇所は最小限にとどめるのが知恵である』

というバークの発想とも重なる。

 

だいたいですな、

社会システムにガタが来たときは

どうしても変えねばならないところを最小限に変えるだけで

十年単位の時間がかかったりするのですぞ。

 

フランス革命の省察

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よって

経路との共存、ないし共生という柾木さんの結論こそ

じつは経路依存性の概念がもたらす教訓なのです。

経路依存の主語を間違え、

「経路依存症」であるかのごとく誤認したために

そうでないように思えたというか、

えんえん迂回しなければならなかっただけのこと。

 

その意味では

「経路依存性」というより

「経路制約性」とか

「経路決定性」といった表現のほうが、

より分かりやすかったでしょうね。

 

経路依存性は、英語のPath dependence を訳したもの。

Dependence は「頼ること」「依存」「従属」などと訳されますので

べつに間違いではありません。

 

ただし depend には

(物事の結果が)〜に左右される

〜次第である

〜いかんである

という意味がある。

 

Dependence の語義を見ても

(因果などの)依存関係

というのが、ちゃんと出てきます。

 

Path dependence の dependence はこれなのです。

物事の結果は、何よりも経路の制約を受け、

経路次第で決まるというわけですよ。

 

・・・ただしこうなると

よしんば経路依存性の意味を正しく理解できたとしても

社長はキレるしかないかも知れませんね。

 

戦後日本の経路を無視した保守運動など

いかに目的が公益や国益に合致していようが

いかに方法論が合理的であろうが

いかに必死に頑張ろうが

失敗を運命づけられていると覚悟せよ

ということになりますので。

 

もっとも、それにたいする返答は一つです。

この程度で取り乱すとは何事か?

まったくもって絶望が足りない!!

 

だ・か・ら、

『右の売国、左の亡国』と言うのですよ!

 

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ちなみに「(破壊的)炎上」も

経路を無視した正義感の暴発

と規定できます。

 

こうやって、話は全部つながっているのですよ。

『対論 「炎上」日本のメカニズム』帯付き書影

 

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ではでは♬(^_^)♬