2011年、神社本庁があるポスターを制作しました。
目を閉じて微笑んでいる女性の顔をとらえた白黒写真のバックに
日の丸をあしらったもの。
コピーいわく。
私 日本人でよかった。
ポスターの下には小さな日章旗があり、
誇りを胸に日の丸を掲げよう
と書いてあります。
ポスターは6万枚つくられ、
依頼のあった全国の神社に無償で配られたとか。
ところがこのポスターが、
今年に入って物議をかもす。
京都にいっぱい貼られていたとかで、
外国人の観光客が多数訪れる地にこんなポスターを貼りまくるのは
排外的なナショナリズムの高まりではないか、
というお決まりの話になったわけです。
BBCニュースなど、
「右翼的な国家主義の広がりをただでさえ懸念する人にとっては、気がかりな内容だった。」
と報じる始末。
・・・けれどもこの批判に説得力はありません。
というのもメインコピーは、
「私 日本人でよかった。」
と謳っているからです。
日本が世界で一番の国かどうかは知らないが
日本人にとって、日本が世界で一番の国なのは当たり前じゃないか
という福田恆存さんの名言ではないものの、
日本人が「日本人でよかった」と思うのは
日本社会が(多少のことはあっても)うまく機能していることを示すものであり
しごく当然というか、
まったくもって、そうあるべきだからです。
万一、そうでなくなっていたら、それこそヤバい事態ではないでしょうかね?
裏を返せば、このメインコピーの論理にしたがうかぎり
アメリカ人なら「私 アメリカ人でよかった」と思うはずだし
ロシア人なら「私 ロシア人でよかった」と思うはずだ(以下同様)
ということになる。
すなわち、ここから
日本人は他の国民よりも優れている
という結論を導き出すことはできません。
非日本人にたいして、日本人の優越性を受け入れることを求めている
とか
非日本人にたいして、日本人になることを勧めている
とは解釈しがたいですからね。
ナショナリスティックではあっても、
排外的とは言えないでしょう。
ついでに「国家神道復活の願望」を読み取る向きもあったようですが
ポスターのメッセージは、国旗の掲揚を勧めるもの。
いくら神社本庁がつくったからといって、
他の宗教にたいする神道の優越性を説いているわけではない以上、
これにも、ちと無理がある。
アメリカなんざ、
小学校の教室に星条旗がふつうに飾られているってもんです。
のみならず、ポスターがつくられたのは
民主党政権下の2011年!!
BBCニュース、いったい何を勘違いして
「右翼的な国家主義の広がりをただでさえ懸念する人にとっては、気がかりな内容だった。」
などと言っているのでしょう?
W(^_^)W\(^O^)/これぞ大笑い\(^O^)/W(^_^)W
・・・しかし困るのは
このポスターに別の大笑いがひそんでいたこと。
モデルとなった女性は
じつは中国人だったのです!!
神社本庁の教化広報部教化課の担当者は
これを聞いて「えっ」と驚いたと伝えられます。
どうも、女性の国籍については把握していなかったらしい(おいおい)。
何でもポスターのデザインは
複数の会社に頼んで決めたのだそうですが、
それを手がけた人物は現在、本庁にいないのだとか(おいおい!)。
W(^_^)W\(^O^)/これで「日本人でよかった」もないもんだ\(^O^)/W(^_^)W
ただし見過ごせないのは、神社本庁がこの件について
以下のようにコメントしたと伝えられること。
なんとも言えないです。
日本人でなくても、
あくまでイメージなので大きな問題はないかとも思います。
冗談じゃない。
日本人が「日本人でよかった」と言っているからこそ
ポスターのメッセージは健全なナショナリズムたりうるのです。
非日本人に「日本人でよかった」と言わせたら
日本人であることは、他の国民であることよりも優れている
ということになるじゃないですか。
ついでに中国人が、なんで日本の国旗を
誇りを持って掲揚しなければならないんですかね?
皮肉な話ですが
モデルが日本人でなかったことによって
問題のポスターは排外的と批判されても仕方ないニュアンスを帯びたのでありました。
そして一番とんでもないのは
「あくまでイメージなので」というタコな言い訳。
神社本庁にとって、
日本人であるかどうかはイメージの問題にすぎないようなのです。
天照大神が聞いたら、嘆いて天の岩戸にこもっちゃうんじゃないしょうか。
だ・か・ら
『右の売国、左の亡国』と言うのですよ!
ではでは♬(^_^)♬
18 comments
Daniel says:
5月 14, 2017
何だか、嵌められたのかなぁって気もしなくはありません。やれやれ。
記事中のキツい皮肉と考えられるのは以下の通り。
>中国で人気の短文投稿サイト、「微博(ウェイボ)」では、あるユーザーが刺激的なコメントを載せた。「きっとこれで日本人は実は中国人だったと証明されたわけだよね?」。
やはり用意された(罠というほどでもない)カウンターだったということですかね。
しかし、中国の「微博(ウェイボ)」なんていう本当にどーでもいいソースをネタにしているところがまたショボい。中国に、何がしかの民主的、自由的な実質があるかのように思っているところが更に痛い。
さて、「歴史修正主義(revisionism)」とは、とにかく連合国側の人間が、理屈は一切抜きで、日本人の抗弁を全く聞かずに跳ね除けるための魔法のレッテル張り(と本人は思っている)ですが、私は(前にもどっかに書いたかもしれませんが)これはカウンターをかまして相手を黙らせた経験があります。
“History was (has beenでも可) always revisioned.”
まともな知識人なら、ここでもうまず怯みます。反論の余地がないからです。
ただ若干遺憾ながら思いますに、先生の『国家神道復活の願望』というお言葉には違和感があります。「国家神道」とは、結局、明治国家の国教でも何でもなかったわけですから、誤解を招きやすい表現と思います。
SATOKENJI says:
5月 14, 2017
「国家神道復活の願望」云々については、そういう趣旨の批判があったのです。
分かりやすいよう、ちょっと文章を変えました。
しかし「あくまでイメージなので」などというタコな弁明を
ついつい、やらかしてしまう点を見るに、
この件は何者かにハメられたというより
神社本庁が勝手にコケた感が濃厚です。
Daniel says:
5月 14, 2017
だとすればひょっとして、神社本庁側が勝手にコケたので、好機とばかり叩かれた、のですかね。
さて、、皆さんご承知の通り、実は私はクリスチャン(キリスト教徒)なので、本当は私は、「国家神道復活の願望」を持ってるんですよ。そうすれば、私は気兼ねなく神社に参拝できるのですが。(個人的には、そうと納得したので、神社には参拝するようにしています)
皆さん信じられないかもしれませんが、真面目に考えると、宗教って、そういうものですよ。
半ライス大盛 says:
5月 15, 2017
> あくまでイメージなので大きな問題はないかとも思います。
ポスターに、
「※写真はイメージです。」
を付け加えれば良かったと思います!
SATOKENJI says:
5月 15, 2017
W(^_^)W\(^O^)/秀逸\(^O^)/W(^_^)W
ついでに
※個人の感想です。
があれば完璧。
GUY FAWKES says:
5月 15, 2017
>※写真はイメージです
>個人の感想です。
「※なお、効果には個人差があります。というヤツですか、
これが「国境に縛られた時代」の終わりの一形態…
メイ says:
5月 15, 2017
佐藤さんが仰るように、日本人だから「日本人に生まれてよかった」と思う、という事なら、自然な感情ですよね。
日本人は敗戦等、諸事情で自信を失いコンプレックスを抱えてしまっていたので、反動がおかしな形で出てしまいやすくなっているのかもしれないと、少し危惧する面もあります。
国にとって「良い」ナショナリズムとはどんなものだろう?と考えています。
今の我が国はナショナリズムが高まっていると見るべきなのか?今の政権の姿勢は(言い古されているかもしれませんが)やはりナチス的な印象も持ちます。
第一次大戦で敗戦し、自信を失っていたドイツ国民にとって、ヒトラーの「我々は優秀な民族なんだ」と鼓舞する演説に、癒しを感じたかもしれません。そんな言葉に動かされる程、酷く傷ついていたのかと・・日本人だって他人事では無いですから、悲しくて切なさみたいなものを感じます。弱みにつけ込む存在というのはいつでもいるんですね。
一部の他民族を、敵としてターゲットにしてナショナリズムと支持率を高めようとする手法は、今の日本とかぶる気がします。
こういうナショナリズムは国家を破滅に向かわせるタイプのものではないのだろうか・・。
日本人を他民族より高みに置こうとする言説もあるかもしれませんが、日本人も他国の方も、しょせん欠点だらけの普通の人間、というか・・。なのに民族性に優劣をつけるのは意味が無いですよね。
自国への愛情は、理屈ではなく本能に近いし、日本人も、どんな国のどんな民族の方も、それぞれに自分の民族性を好きでいる事、誇りを持つ事ができれば良いのかな。お互いにそれを保証するのが大切なのではないかと・・。
個人的には日本会議や神社本庁には危機感みたいなものを感じます。
Daniel says:
5月 18, 2017
横から、しかし、一方では本筋から。
いつぞやの佐藤先生の記事に対するコメント以来、実は私、「国学」について、本当に少しづつですが、自分の頭脳がとても先生方に追い付いていないことを重々自覚しながらも、でも真面目に考え始めています。
まず、日本は、どうも堂々の先進国でありながら、古代よりの共同性や歴史が濃厚に感じられる(各種外国人談)国らしい。宮崎駿は、近代や啓蒙他が、ワケワカの土着と我々との結び付きを剥がしつつある哀しみを描いていて、それはその通りだけれども、でもしかしやっぱり日本は、土着性がどうも切っても切れないほど強いらしい。(これは私の実感にも適います)
恐らく、廃仏毀釈前の神仏習合の時代、封建制の時代、それはその一つの極に達していたであろうと。もっと前にも遡れますが、一先ずそこで一旦ストップ。ただ現代において一社でもいいので、神仏習合時代に、針を戻してみると、それに対する日本人の反応を計れば、何がしかのことが窺えないかと思います。
一応、廃仏毀釈を例に挙げましたが、他にも何かあらんと思います。まぁでも大体、君主制(皇室)を残し奉じている時点で、やはり何か日本は神秘的なのだと思いますが。その「固定観念」を大事にしているとこが、私は堪らなく好きです。
この話題、前にGUY FAWKESさんがお応えいただいた経緯もあり、先生の記事を邪魔しない慎ましやかな範囲で(笑)皆さんのご反応をいただければ大変に幸甚です。
GUY FAWKES says:
5月 19, 2017
DANIELさんが抱かれた「日本の土着性・神秘性」への好感というものは、
江戸時代までの前近代と明治維新以降の近現代を振り返る着眼点として私も全面的に同意するものです。
進歩的文化人の巨軸である小説家・大江健三郎さんは「僕は生まれ育った場所に強い愛着がある」という旨を述べる一方、
大江さんと同じく『9条の会』設立者である加藤周一さんもそうですが戦後リベラルの多くの方々は
「明治の人々は無理はしなかった」とも仰います。
結論としましては明治維新以降の日本人は思想の左右問わず、『近代化の肯定』という点では思想の左右を問わず、
足並みを揃えるに至っている。(これにつきましては佐藤先生のご著書『僕たちは戦後史を知らない』に詳しいと思います)
この一連の流れの結果が、昨今話題になる「ブラック企業」や格差拡大・貧困というものの深刻化、
ひいては「日本が歴史に筋を通していない」故の顕在化ではないかと考えます。
ナショナリズムを訴える政党が自国民を蔑ろにし、リベラリズムを訴える政党が弱者を救えない現実を受け入れない。
(これにつきましても『右の売国、左の亡国』に詳しいです)
先の記事でもDANIELさんが挙げてくださった廃仏毀釈、神仏習合を排する明治新政府による神仏判然令も近代国家形成における
必然的現象とはいえ、一種の「全体主義」ですよね。『表現者』でも「ニーチェが看破したニヒリズムとは一時的は現象ではなく、
近代世界に孕まれた運命」というご指摘がコラムにあったと覚えております。
回りくどくなって本当に恐縮ですが、日本って近代化に臨むにあたり凄く不誠実だったと思います。
無論、これは「他国は時代遅れなものを無価値と判断して切り捨てる潔さがある」などと
申し上げるつもりは毛頭ありません、その結果が今現在の西欧米の現状ですからね。
海外の方からすると日本は良くも悪くも近代の合理性と前近代の土着性が渾然一体になっている点を感じるのでしょう。
しかし、上述した様に明治維新以降の日本は「脱亜入欧」という自称・現実的判断、「和魂洋才」という美辞麗句のもとに
その実、美味しいところだけをつまみ食いする随分とご都合主義的な振る舞い方をしてきたのではないか?
先日の日下武史さんの訃報と『右の売国、左の亡国』で論じられた劇団四季が歩んだ理想と現実に引き裂かれた
苦難の道を鑑みると、文化という面からして、そのジレンマはより一層身近に感じられるのです。
果たして、日本は自身が愛する神秘性に対して本当に敬意を払っているのでしょうか?
そうでなかったとして、考え直す為に費やす時間もないに等しいと言っても過言ではないと思います…嫌な話ですが(苦笑)
Daniel says:
6月 12, 2017
GUY FAWKESさん、こんにちは。レス本当に遅くなりまして、ごめんなさい。この間、ちょっと病気したり、回復後も地方に行ったりしてましたので。さて、
>果たして、日本は自身が愛する神秘性に対して本当に敬意を払っているのでしょうか?
正直、これに関しては、私は、「是」といいたいですね。私はクリスチャンでありながらも、自分の意思とは関係なく、地元の神社の氏子でもありますし、地元のお寺の檀家でもあります。私は地域社会の一員でありますので、自分の宗旨に世間を合せるのでなく、世間の宗旨に私を合せる必要があります。私の父を含む先祖のお祭りも、それぞれの宗教で行わなくてはなりません。私にとってそれはでも、苦痛ではなく、一種の甘美も伴うものかもしれません。
この曰く言い難いドロドロした宗教的心像に対して、私自身がどうのこうのというよりも、周りが何とはなしに、むしろ好感を伴って、そこはかとなく、私を応援してくれているのを感じます。それは、
>日本は自身が愛する神秘性に対して本当に敬意を払っている
証左でないかと思うのですよ。
…何か論理が吹っ飛んでいるようにも思えますね(笑)
何とも上手く言えないのですが、理外の理、ということで、GUY FAWKESさんにはご納得いただけたらと思いますが、、可能であれば、天才、佐藤健志先生の筆でもって、何かしらのご教示を賜れれば、有難いですね。
それでは、また。
snow says:
5月 19, 2017
佐藤さんの最後のオチには同意しますが。
こんな事にまでイチャモン付けるBBCとか左翼側の余裕の無さというか
表現にまでイチャモン付けてくるのは何だか気味が悪いです
BBCの糞まじめ過ぎる左翼イデオロギーや異常なまでにナショナリズム嫌いと言うのは
ユーモアさえ無くしますね。
SATOKENJI says:
5月 19, 2017
モデルが中国人だったことにより笑いものになるべきだという点では、
BBCや左翼・リベラルも、神社本庁と同列だと思います。
マゼラン星人二代目 says:
5月 19, 2017
>>あくまでイメージなので大きな問題はないかとも思います。
>イメージ
イメージ重視。
ということは、ありのままの日本人など実はどうでもよかった、ということ。
ひいては、事と次第によっては、「現実の日本人など愛するに値しない」ということにもなりかねない。
それを「問題ない」とシレっと言いきってしまうのは、怨望(ルサンチマン)とある種の破壊衝動のなせる業でしょう。
素朴な自己肯定、他愛のない自己満足だなんて、とんでもない。
その意味で、
>日本が世界で一番の国かどうかは知らないが
>日本人にとって、日本が世界で一番の国なのは当たり前じゃないか
といった福田御大のフレーズを援用して、このポスターを養護するのは少々苦しい。
>怨望(ルサンチマン)とある種の破壊衝動
聞けば、件のポスターは民主党政権時代に作られたとの由。「お約束」に嵌り過ぎた様に、苦笑。
マゼラン星人二代目 says:
5月 19, 2017
いつぞやのシン・ゴジラ談義で言われていた、「表層メッセージと深層メッセージの別」という発想をここで援用してみる。
すると、さしずめ、
表層: 「日本人でよかった」
深層: 「日本(人)死ね」
ということにでもなろうか。
青 says:
5月 19, 2017
「私、(敗戦を美化し、戦後民主主義を受け入れた)日本人でよかった」
左翼もこういうことよく言ってますね。
学天則(影なびく星) says:
5月 21, 2017
三橋貴明さんが日本国憲法をアメリカ製だという前提から始めるべきと
おっしゃってますが私はさらにその奥でアメリカ製からにしなきゃならん
その前提から始めるべきという主張なんですね。
まあ、常識的な組織党統治として考えた場合下でしかない共謀罪の件で矢面に立たされて可哀想な
小林よしのりさんなんかもそうですが日本で保守を名乗る人々は
なぜか皆、曖昧でポエマーになる原因は我々は常に大陸から出遅れた後進性を
孕んでいる立ち位置だと理解が乏しいのではないかとね。
だから日本人でよかったなんて言ってられないんですよ、遅れているんですから。
それ、すなわち常に前時代的な体制に戻そうという強力なバイアスがかかっている
保守はそれを大陸に劣らんように近づけようとする訳ですがね。
つまり下からの自治的な自由民主主義は本来、
保守を自称する人間が一番取り組まなければならん問題で有り
それをサヨクや外からの圧力かつ日本国憲法と日本政府に上から管理主導され、
それを前時代に戻そうとする勘違いして保守を名乗る右翼に否定される構図になるのは
保守の見識のなさと指導力に欠ける、ふがいなさでしょう。
御誓文の精神から全時代回帰を語るの保守としておかしい。
ならば蘇我氏についた太子は否定されるべきだ。
地勢的立ち位置と聖徳太子以来の歴史を見ればそうでしょう。
太子様がついたのは蘇我氏ですが、後にやりすぎた蘇我氏は入鹿で討たれてますが
結局、皆で律令と言う近代化をしている。但し、相当、時間をかけて焦らずやってますがね。
律令の最初はかなり土着の豪族に配慮したようですし、大陸の文物を消化して
国風文化に至るまで何百年かかった事やら
柾木 says:
5月 24, 2017
神社本庁の言い訳をあえて深読みすれば、排外的ではなく反対に日本民族といえるものは既にイメージの中にしか存在しない。だから件の人物が誰だろうとどうでもよい、なんでもありだと主張したかったのかも?
玉田泰 says:
5月 30, 2017
日本人の国旗に敬意を持たない感覚が、BBCの偏向報道を招いたのでしょうか。だとしたら恐ろしいですね。愛国心を持たないことが当然と、国際的に認知されている国民?
そもそもが、国旗掲揚推進ポスターを作らなければならない程に、日本人の戦後は日本人自身にとって暗黒史なのでしょうね。