デフレ脱却という大目標を
達成したかどうか怪しい・・・
どころか、
事と次第では日本経済の再デフレ化を招きかねなくなっている
例のアベノミクス。
普通に考えると、
この結果は失敗か、
少なくとも目標ほどには成功しなかった
となるところですが、
現政権の視点だと
着実な成功に見えるらしい。
なにせ第二ステージなるものに入ったそうですからね。
で、そのスローガンとして出てきたのが
みなさんご存知、一億総活躍(社会)。
これについては、9月29日の記事
「〈一億総活躍〉に感じるもの」でも取り上げ、
〈ゆとり〉の発想をみごとに欠いた
いかんともしがたく貧しい発想
とコメントしました。
とはいえこれは、あくまで字面から受けた印象。
一億総活躍とは、実際のところ何を意味するのでしょう??
石破茂さんも、こう言っているくらいです。
(一億総活躍は)最近になって突如として登場した概念だ。
国民の方々には『何のことでございましょうか?』という
戸惑いみたいなものが、全くないとは思っていない。
「一億総活躍とは、強い経済と安心できる社会保障のもと、全国民がいきいきと活動できる状態のことである」
などという定義はむろん無意味なので、
一億総活躍の公式英語訳
DYNAMIC ENGAGEMENT OF ALL CITIZENS
から、意味をさぐってみることにした。
・・・いや、これはスゴい。
簡単に言えば、一億総活躍とは
〈経済政策の成否をめぐる責任を、政府が負わずに国民に転嫁すること〉
を意味しているのです!
なぜそうなるのかについては、
「新日本経済新聞」のメルマガで詳述しましたので
そちらをご覧ください。
ちなみに、ある親しい友人からはこんな質問が。
総理は自分の改革を「ドリルの刃」に例えた。
これには性的な象徴性が感じられるが
一億総活躍はどうなのか?
・・・とりあえずはノーコメントとお答えしておきましょう。
ではでは♬(^_^)♬
9 comments
佐藤法道 says:
10月 15, 2015
いつも楽しく拝見しています。
たかゆき says:
10月 15, 2015
一億とくれば♪
連想されるのが、、戦時中の「一億火の玉」。。。
>〈経済政策の成否をめぐる責任を、政府が負わずに国民に転嫁すること〉
そうですね。。
原爆やら焼夷弾やらで
文字通りに 国民は生きながら
火の玉にされてしまいましたね。
それでは 皆様 ご唱和ねがいます
♪ 励め 一億 活躍だ ♪
せい says:
10月 15, 2015
親しい友人は中野さんかな。
変わりに私が想像するに、精子を連想してしまいますね。
アメリカの遺伝子が日本を犯す。
buttmedd says:
10月 15, 2015
「ドリルに替え刃と言うのはちょっと違うのではありませんか」
「じゃあ具体的に聞くけど、他にどんな替え刃がある?」
「石破があるでしょう/安倍でなければ誰でもいいのでは/安倍に不測の事態が起きたら」
「安倍の意志に勝る石はないのであります中折れ破断など考える必要はないのであります」
(敬称略)
絶対支持の人たちは、再登板のあの絶頂にいまだ浸っていたいのでしょうか。だとしたら
身も心もオンナのような人たちです。オトコの方は官邸という構造改革のアジトへ帰った
まま何年も草のすまいに戻ってないというのに。秋桜の花びらを摘んで占っているうちに
その秋桜が枯れる季節も、もう近い。
buttmedd says:
10月 15, 2015
訂正です。
「ドリルに替え刃〈がない〉と言うのは(以下略)」
〈がない〉が抜け落ちました。
頓珍漢 says:
10月 16, 2015
>経済政策の成否をめぐる責任を、政府が負わずに国民に転嫁すること
”自己責任”の遠まわしな言い方だったとは思いもよりませんでした。
この文章ってやはりネオリベ精神的官僚が書いているのではないでしょうか。それを総理は表面上(内面もでしょうけど)は納得していて読み上げていた・・・・・・?
とにかくこんな回りくどいのばっか、自分たち自身もどうしたらいいいかわからなくて、とりあえずネオリベ嗜好をオブラートに包んでいる感じです。
マゼラン星人二代目 says:
10月 16, 2015
それにしても、往時に使われた「一億総○△」というフレーズで言う「一億」というのは、「朝鮮」や「台湾」込みの数値(「内地」だけだと一億にはならない)だと聞いたことがあるのですが、今「一億総活躍」とか言ってる方も聞いてる方もその点についてどの程度弁えているのでしょうか。
人の心の琴線に触れるような言葉遣いを無邪気に口走って、またぞろ痛くもない腹を探られる。。。
そんな事にならなければいいのですが。
SATOKENJI says:
10月 16, 2015
三千万人ぐらいは活躍しなくていい、ということかも知れません。
マゼラン星人二代目 says:
10月 17, 2015
もちろん、「一億」というのは2015年現在の人口水準に照らしての概数で他意はない、というのが常識的な解釈なのでしょうが、そういう弁明がいつでもどこでも通用するものなのか、どうか、知りたいものです。