昨日いらい、今回の事故と入院について

多くのみなさまから

お見舞いとお励ましのメッセージをいただきました。

ありがとうございます!

 

まさかのアクシデントではありましたが

大手術が必要だったわりには

経過は良好とのこと。

 

心配しなければならない点が完全になくなったわけではないものの

とりあえずはリハビリに精を出していれば良いようです。

 

・・・それはさておき。

 

安保法制を成立させた安倍総理、

今度は〈一億総活躍社会〉なるものを提唱した模様。

担当大臣と国民会議まで設置する方針、とのことです。

記事はこちら。

 

アベノミクスの第2ステージなるものの一環だそうですが、

失礼ながら〈一億総活躍〉というフレーズには

いかんともしがたく貧しいものを感じてしまいますね。

 

なぜか?

答えは簡単。

このフレーズからは、〈ゆとり〉という発想がみごとに欠落しているのですよ。

 

ハッキリ言ってしまいましょう。

国民が一人残らず活躍する、

ないし活躍することを求められる社会

豊かなどということはありえません。

 

そんな社会には余裕がない。

そして8月29日の記事「余暇もまたインフラなり」や

新日本経済新聞の記事「演劇的インフラ論」でも書いた通り、

ゆとりも社会の重要なインフラなのです。

 

ゆとりというインフラが整備されないかぎり

文化が充実することはなく、

ゆえに社会が成熟することもない。

 

つまり「一億総活躍社会」とは

みんなが目先の成果を追い求めてあくせくし、

それによってむしろ社会の根本が貧しくなるという

しょうもない代物としか思えないのです。

 

ちなみに日本が高度成長を続けていた1970年、

「モーレツからビューティフルへ」という言葉が流行りました。

とにかく働けばいいという発想を捨てて

もっと人生を楽しむべきだということですが、

どうも現政権は、「ビューティフルからモーレツへ」をやりたい模様。

 

とはいえ、そのどこが〈美しい国〉なのでしょう?

ではでは♬(^_^)♬