昨日の記事

「水島社長を『欠席応援』する!」について、

涙拭けよさんから、こんなコメントをいただきました。

 

注進保守A「今夜は社長の話題か!今夜も注進するぜ!…ってアレ?」
注進保守B「社長を…応援…だと…」
注進保守C「( ゚д゚)ポカーン」

 

このやりとりが冴えているのは、

何らかの社会的な問題意識を持った人間(保守、左翼問わず)が

ややもすると陥りがちなワナ

みごとに描き出したことにあります。

 

注進保守A〜Cは、いずれも水島社長を(少なくとも主観的には)支持しているはず。

だからこそ、社長に苦言を呈するような記事が出ると、

ご注進、ご注進とやってきた。

 

裏を返せば、

社長を評価・応援するような記事が出ることは

本来ならば嬉しいことでなければなりません。

 

ところが、そうはならない!

 

「・・・ってアレ?」

「応援・・・だと・・・」

「( ゚д゚)ポカーン」

 

と拍子抜けする。

もっとズバリ言ってしまえば、失望するのです。

 

嬉しいはずのことに失望するのはなぜか。

ここに問題意識というヤツの厄介なところがあります。

 

何らかの問題意識に深くこだわるようになった人は、

当の問題が解決されることを切望するつもりでいながら

じつは問題が存続すること、

下手をすれば悪化すること

往々にして、ひそかに望むようになる。

 

というのも解決されたら最後、

「問題意識にこだわってきた自分」にも意味がなくなるからです。

つまり問題の存在自体が、一種の心のよりどころとなってしまうんですね。

 

これを自覚していないと、

問題が好転したときに限って、

( ゚д゚)ポカーン

ということになりかねません。

 

もっと分かりやすく行きましょう。

かりにですよ、

朝日新聞が突如として論調を大転換したあげく

安倍政権を賛美し、憲法改正も支持、

ついでに「昭和の戦争」を正義の戦いと位置づけて、中国・韓国を批判するようになったらどうしますか?

 

そして「罪滅ぼし」などと称して、

それを無料で配ったりしたら?

 

まさか! などとタカをくくってはいけない。

同紙には前科、じゃなかった前例があります。

 

大正から昭和初期、朝日は現在のように左翼的、ないしリベラルな論調を取っていました。

ところが満州事変と前後して、在郷軍人会や神社関係者による不買運動が起きます。

すると同紙は論調を一転させ、

軍部迎合と戦争賛美を展開したのです!

 

保守派は目下、朝日の不買運動を進めているわけですから、

歴史は繰り返されるかも知れないじゃないですか。

 

ついでに論調の転換を待つまでもなく、

朝日は無料配布をやっているのですよ。

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(「新日本経済新聞」でおなじみ、平松禎史さんのツイートにあった画像を使わせていただきました)

 

 朝日が保守化・愛国化する!!

 

無節操な感もありますが、

保守派にとっては、望ましいことのはずですね。

 

少なくとも、

「何だ朝日め、愛国的になりやがって!

どうして今までのように反日報道をしないんだ!!」

と、文句をつけるわけにはゆかないでしょう。

 

しかしこれが実際に起こったら、保守派の少なからぬ部分は

喜ぶでもなく、怒るでもなく、

( ゚д゚)ポカーン  ( ゚д゚)ポカーン  ( ゚д゚)ポカーン  ( ゚д゚)ポカーン   ( ゚д゚)ポカーン

となってしまうに違いない。

 

さしずめ、( ゚д゚)ポカーン の嵐 です。

理由は簡単。

 

こんなときに、筋の通った反応を示すには

「ただ保守化・愛国化すれば良いというものではない。

保守や愛国にも、まっとうなものと、そうでないものがある」

とする視点が不可欠。

 

しかしこの視点は、

1)保守であれば即、まっとうとは限らない

2)左翼・反日にも、まっとうなものがありうる

ことを前提としなければ、論理的に成り立ちません。

 

だから私は、

「◯◯は反日」「◯◯は左翼」「◯◯は敗戦利得者」

といった議論には反対なのです。

 

これらは反日勢力を攻撃するように見えて、

じつは反日勢力の存在を心のよりどころにする効果を持ってしまう。

 

更生さんのコメントも、関連して紹介しておきましょう。

 

この記事(注:「水島社長を『欠席応援』する!」)を見た注進保守が

反省して普通の保守になってくれることを期待します。

人はいつだってやり直せるはずです。

悪魔「注進しちゃえよ。広義の批判性があると解釈できるじゃんか。」
天使「だめだよ!注進なんて無意味だよ!」

どちらが勝つかは、あなた次第

 

「広義の批判性」というフレーズにご注目。

むろん朝日が使った「広義の強制性」のパロディですが、

注進保守がそうと自覚しないうちに

朝日的メンタリティを持ち始めることが暗示されています。

 

そこから「朝日の存在を心のよりどころにする」までは、本当にすぐですよ。

 

そうなるかならないかは、あなた次第。

ではでは♬(^_^)♬